IBARAKI

茨城について、父母、ももとにご飯を。前よりよくなってきたとはいえ、千葉と比べるとそれはまだまだ大変。
 
水道水は2週間してやっときたそうです。
お店もあけてくれているけど、もちろん水などはないし、なんでもあるわけじゃない。
実際県南に住んでる親戚がびっくりするくらいだった。
 
そんな時、義理の兄の実家や私の友達、時期を置いてそれぞれ新潟や秋田や九州から救援物資が届いて、それがどんなにどんなにうれしかったか。新潟のまゆみ、自分も忙しいだろうに本当に本当にありがとう。
 
気にかけて電話もちょくちょくくれて、本当に一生わすれません。秋田の角ちゃん。もう泣いたよ私は。九州の矢野ちゃん。あの演出嬉しくてなきながらあけた。新幹線もったいなくて大事にとってます。これまた泣いたよ嬉しくて。院友の仲間達こうして繋がって助けてくれて、一生わすれません。一生大事にしたい。ホントに大好き。
 
そしてね、とあるみかんやさんの元気のこもったみかん。もう一生好きでいようって決めた。本当に辛い時に、忘れずメールをくれたり、ほんとに元気みかんくれたり、どんなに嬉しかったか。どんなに助けられたか、本人には上手く伝わってないかもだけど。本とに本当に涙がでるほど嬉しかった。なんどでもあって、直接ありがとうが言えたらいいのにって位感謝している。ほんとにほんとにおいしいんだ。

人生で嬉しくて泣けるなんて地震で大変な事たくさんだけど、嬉しくて泣けて幸せ。ありがとうございます。余震もまだあるけど、がんばろう.
皆にもらった優しさは忘れず、その優しさを返そうと思った。